数学が苦手なら、たし算から洗い直すべきです

分数計算が苦手な原因はらたし算かもしれません

私はなぜ計算練習にこだわってきたのかと言うと、進学塾の講師をしていた時にS君と出会ったからです。S君はとても熱心な高校生でした。授業のたびに質問に来て、納得するまで帰らないという感じで食らいついてきました。

当時の私は、考え方や計算のプロセスをていねいに説明していました。全体像を大ざっぱにとらえ、細かいところを説明すれば、わかってもらえる気がしていたのです。実際解説するとS君も理解していましたから。

そして、今の高校数学の先生方の大半も、同じなのではないかと思います。

わかってもできるようにはならない

でも今の私が高1のときにS君に出会ったら、別の選択肢を渡すでしょう。それは、たし算からやり直すことです。

S君が卒業した翌年、私は進学塾をやめて計算練習を中心に学ぶ個人指導の学習塾をはじめました。以来、3歳から78歳までの生徒さんと出会い、どのように計算が身についていくのかに徹底してつき合ってきて、「技術としての計算」を身につけるには、毎日10分程度の計算練習をするのが一番いいという結論に達しました。

数学の勉強をする前の、ウォーミングアップとして簡単な計算練習をするのです。

ただやるのではなく自分が少し苦手なところを、スラスラと正確にできるまで徹底的に練習するのです。

イチローや松井秀喜が素振りに取り組んでいたように計算練習をするのです。
伊藤美誠や石川佳純がラリーの練習をするように計算練習をするのです。
辻井伸行や三浦文彰がスケールに取り組むように計算練習をするのです。

このやり方を高1の頃のS君に手渡すことができれば、国公立や理系の選択肢も合ったかもしれないと思います。

分数計算が苦手な原因はいくつもある

小学校も高学年になると、一口に計算が苦手と言っても、原因はどこにあるのか、簡単にはわからなくなります。筆算のわり算で考えてみましょうか。

896÷17 といった問題で考えてみましょう。まず89÷17の商を見つけなければいけません。これはわり算ですね。 商が5と分かれば、つぎは17×5=85 を計算し、次に89から85を引いて4。それから46をまた17で割るわけです。かけ算の中にはたし算も入る。たす・ひく・かける・わるの四則計算を切り替え切り替えやらないとわり算はできません。

その中で1つでも間違えれば、そのわり算全体も間違えてしまうことになります。

8+7が3回に1回16になってしまうような子どもは結構いるのです。1年生の終わりでその状態だったとしますよね。そのまま学年が上がっていくとひき算を練習し、かけ算を練習し、わり算を練習しと5年生くらいになると、四則計算の仕組みは理解していても、たし算だけではなくひき算にもかけ算にもわり算にもいくつか穴が空いていてもなんの不思議もありません。

一つひとつの計算はスラスラと正確にできても、切り替えが苦手ということもあります。

もし暗算のたし算のどこかに2つほど穴があれば、分数のたし算なんかになると、2回に1回は間違える。あるいは間違えないとしてもものすごく時間がかかるという状態になっても不思議はありません。苦手意識もどんどん強くなります。

少なくともS君もそういう生徒だったのです。

土台に穴が空いていたら家は建たない

S君は本当によく質問に来ていました。その日私が解説した問題や、学校で困った問題を持ってきては質問するのです。

数学の問題がわからないと言ってきた場合、その生徒の考え方と計算の仕方をていねい見て、間違ったところを補足すれば、そのときはわかるのです。こんなに熱心なんだから、まもなく数学は得意科目になるだろう、と思っていました。

ところが、半年たっても一年たっても、さっぱり成績が上がりません。

ある日、S君は分数が出てくると考え込むことが多いことに気がつきました。そこで

「計算は苦手なの?」
と聞いてみると
「はい、とても苦手です」
と答えます。

「いつから?」
「小学校からです」
「小学校の何年生くらいから?」
「3年生くらいからですかね」
「分数が出てくるとどんな気分?」
「いやだなぁ、めんどうだなぁと思います」

そこでくわしく調べてみたら、ひき算の筆算でもびっくりするほど悩んでいるし、よく間違うのです。

一応進学校の高校生ですよ。日常生活では何にも問題ないし、話も通じる。でも計算がとてもゆっくりで、しかもよく間違う。でも原因はどこにあるのか、穴はどこにあるのかを探す手立てが、当時の私にはありませんでした。

今なら暗算のたし算からていねいに調べて、毎日10分、一年も取り組めば、かなり改善することができます。計算がスラスラ正確にできれば、理屈はわかっているのですから全然違った結果になったと思うのです。

S君のような中高生はたくさんいるはずです。

そして私は、そんな子どもたちの手助けがしたいのです。