わかっていてもできない
「わかること」と「できること」との間
文章題でも計算でも、その内容がわかってもできるとは限りません。特に計算では、わかってもすぐできるようになることはほとんどありません。
「わかること」と「できること」は、まったくべつのことなのに、「わかればできる」と思っている人がけっこういます。
学校の勉強以外で考えてみると
学校の勉強では「できない」ときに、理解させようと説明したり教えたりするのが普通です。
ところが学校の勉強以外なら、「わかること」と「できること」の間に大きなギャップがあることが常識なので、くどくどと説明することはあまりありません。
四の五の言わずにやってみろ
という人の方が多いのではないでしょうか。
舞台芸術の場合
まず、お芝居で考えてみましょうか。
台本が読めても演技ができるわけではありませんよね。プロの俳優でも、まずは読み合わせをします。テーブルの周りに輪になって、配役にそってセリフを読み合うわけです。
一人で読んでいるときは、相手の声の調子もわかりませんから、想像するしかありません。そして実際に読み合わせてみると、想像していたことは違うことにたくさん出会うわけです。
次に立ち稽古をします。まだ大道具もないので、パイプ椅子や折りたたみ机をセットに見立てて、動きをなぞりながらセリフを合わせていきます。
何度も立ち稽古をしてから、衣装や小道具もそろえてリハーサルをします。何度も練習してからやっと本番になるわけです。
本番で稽古の時には思ってもいなかったような感情が動くこともたくさんあります。台本をどれ程深く読み込んだとしても、実際の舞台の上で演じるたときの体験は想像すらできないのです。
音楽の場合
次に、ギターソロで考えてみましょう。
まず楽譜を読みますよね。楽譜が読めれば、どのように音を鳴らすのか、どれくらいの強さで鳴らすのかはわかります。でもすぐには弾けません。
やさしく弾けるところと難しいところがあるので、難しいところは部分稽古を何度もしなければ、テンポが遅れたり、音を間違えたりします。
音の流れや強弱、リズムの変化がすべて体に入ってきて、ようやく音楽が自分のものになってきます。
その上で解釈というか、演奏する人の気持ちの変化が伴って、ようやく音楽として仕上がってきます。
楽譜を読めることと、演奏することの間にもものすごくギャップがありますよね。
料理の場合
お料理でもそうですよね。
お母さんにレシピを教えてもらって、同じようにしたつもりでも、同じ味にはなりません。
レシピに書き込めないし、口でも言っても伝えられないことが、料理の中にはいっぱい詰まっているのです。
いかにしてできるようになるのか?
どんなことでも「わかること」と「できること」の間には、大きな違いがあります。
そして、お芝居や演奏に限らず、できることの段階にはかなり細かいステップがたくさんあります。
演奏で言えば
- 楽譜が読める
- 音が正確に出せる
- リズムが正確に取れる
- 強弱が正確につけられる
- 曲の解釈ができる
- 曲の解釈が表現できる
といった具合にです。
曲全体ではなく部分部分でも同じようなステップがあるわけで、3分の曲であっても何百ステップも「できるようになっていく」ことなしに、演奏することはできないわけです。
そして、一曲の演奏が「できる」ようになってはじめて「わかる」こともあるのです。
同じことが算数の計算がスラスラとできることについても言えます。
そんなわけで、問題は
いかにしてできるようになるか?
なのです。