シュタイナーを振り返って

Rudolf Steiner

1861年2月27日 – 1925年3月30日(64歳没)

実績に惑わされてはいけない

日本では特殊な教育の提唱者として扱われることが多いが、教育だけではなく哲学や医学、農業などでも実績を上げている。

そのすさまじい実績に驚いた私は、一時期シュタイナーにはまってしまった。四大主著(「自由の哲学」「神智学」「神秘学概論」「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」)を始め数多くの著書を読んだ。

鈴木一博さんの読書会に参加させていただいたりもした。

今となっては、「自由の哲学」を読んだ意味はあったとは思うが、シュタイナーのいうところの「霊学」は統合失調症的妄想の産物だと確信している。

しかし、いかつい顔をしたシュタイナーだが、その人や世界を見る目や立ち位置はとてもやさしいとは思っている。

むやみに信じようとしてはいけない

話は変わるが、は人の話を信じ込みやすい傾向がある。

学生時代には、尊敬する先輩の影響からマルクスを読みふけり、日本でも社会主義革命が起こると信じていた。史的唯物論が正しいと思い込んだ上でマルクスなどの著書を読むのだから、読めば読むほど「確信」が深まっていく。科学的社会主義などという言葉を真に受けていたのだ。

ところが1980年代に入る頃には、日本で社会主義が実現するとはとても思えない状態になっていた。案の定、1990年の声を聞く前に、ベルリンの壁は崩壊した。

どこが科学的なものか!

それに懲りたはずなのに、やはり尊敬する人に勧められてシュタイナーを読みふけった2000年代だった。

シュタイナーの影響を受けた医学者や農業の実践が驚くような結果を出していたりするので、そこに真実があるような気がしながらシュタイナーの著書を読みふけってしまったのだ。

しかし今、自分の体験や実感に照らしてみれば、「自由の哲学」の大半以外はとても受け入れられない話ばかりだ。

それなのに、2010年前後は「シュタイナーの言説の大半は正しいだろう」という前提から物事を見ようとしていた。

無自覚な先入観を疑え

話は変わるが、この記事を書こうとして、ぼく自身がシュタイナーより長生きしてしまっていることに、今日、気がついた。シュタイナーの妄言から脱却するのにはそれぐらいの年月がかかるということだろうか?

そんなことはないよな。

大事なことは、あらゆる先入観に疑いを持つことなのだ。