脱脂粉乳の思い出
給食と言うと
私には脱脂粉乳しか
経験がない
当時の日本は
一応形だけは独立国
ということにはなってはいたが
まだまだアメリカ軍の影が
あちらこちらに露わに見えていた時代だ
アメリカ合衆国では
豚の餌だった脱脂粉乳を
栄養補給とかいう理由をつけて
「給食」という名目で
私たちは飲まされていた
最初の頃は
大きなヤカンに沸かしたのを
アルミのコップに注いで配っていた
まさしく配給という感じがした
そのうち
牛乳瓶に入れたものが
配られるように
進化した
しかしその味の不味さには
何の変化もなかった
それなりに
空腹ではなくなっていた子どもたちは
「脱脂粉乳の不味さ」という拷問を
同級生同士で押し付けあっていた
好き嫌いではなく
身体が受けつけない子どももいた
しかし
先生に泣きつくような
勇気のある子供も
学校や教育委員会にねじ込む
モンスターペアレントも
いなかったようだ
変なところで格好をつけていた私は
一口で含むだけで吐き出してしまう
同級生の代わって
不味い脱脂粉乳を
二本飲み干したこともある
しかし
三本目は無理だった
それに比べて
今日の給食の
何と素晴らしいことか
アレルギー対策をしている
学校まであるらしい
経済政策の失敗と
原発爆発を伴う大震災で
確実に退潮期に入っているわが日本だが
私が子どもの頃に比べれば
う〜〜〜〜〜〜と豊かだ